コーヒータイム 私歴探訪

コーヒータイム

コーヒータイムの今回はこの話題について詳しく掲載、音声や口コミ情報などと併せて掲載します。

終戦の日、その戦争とは

終戦記念日です。私と一緒に太平洋戦争をこのページで見てみませんか?かなり簡単にリアルに感じることができるように記します。

戦争を見る時、私はそれまでのその場所の生活がどうであったかをまず知るべきだと思うのです。でなければリアリティは無いものです

下のyoutubeのページで「昭和10年頃の東京」をまず、見ましょう


太平洋戦争1・2・3


01/戦前の活気に満ちた東京(昭和10年頃)

どうでしたか?
72年も前です、イメージが変わったのではないかと思います。文化的で豊かな生活をしていたんですね。

そして、同じ場所にいた人に街に、爆弾が容赦なく降り注ぎました。


02/悲惨な東京大空襲


そして こうなりました


03/戦争の結果

太平洋戦争、東京、写真

これは見たくない人は見ないで下さい。

太平洋戦争、東京、写真


1945年(昭和20年)8月15日に放送された実際の

玉音放送(mp3)


一番大切なのは01と03の落差を感じることです。反戦というよりはここでは悲惨な事実を感じられれば、と思い掲載しました。


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漢字トーク7.5の画面の写真

マックPC時代の懐かしいデスクトップのスクリーンショットを展示してみます。私は2001年までマックを主に使っていました、その時は既にG4でしたがそこから2世代もさかのぼった漢字トークの画面を見てみましょう。

mac、マック、スクリーンショット、漢字トーク7.5

この画面は「システムフォルダ」を開いた画面です、懐かしいです。中に見えるFinderとsystem、機能拡張(見えない)がたいへん大事なPCの中枢です。漢字talk.7.5.3は一番安定していたバージョンでした。私のマック暦の中でも一番長く使用していたOSのバージョンです。

次に安定したバージョンはOS8.6あたりでした。このあたりマニアの人にはたいへん貴重な話題?となっているかもしれません。Windows PC系とは違いアイコンは右に置くようになっていたんですよね。

中に見えるScrapbookが大変便利で、実にこれ写真と音の両方をドラッグ&ドロップでどんどんファイルにストックすることができました。起動音などを音に指定することもできます、レスエデット、ランチャー、Simple text等、あー懐かしい用語が思い浮かびます。

まだここにアップデータありますぞ
Mac OS 7.5.3〜OS 9.2.2 update

AppleCare

MAC OS (Wikipedia)

DTMとマルチ録音

いまはMIDIがあるけど、私の最初に曲を作りはじめた頃はカセットレコーダー2台でのオーバーダビング録音だった、16才の頃に既にそんなことをしていた。

カセットによるピンポン録音は往復するごとに音が劣化してゆく、だからできるだけ多くの演奏を一度に入れることに尽力していたな、1年ほどしてからフォステクスのマルチレコーダーを買った時はうれしかった。4トラックという幅で録音できる、ピンポンも少なくて済むのだった。

それから二年後、MIDIシーケンサーが手軽なものになった。私の持っていたのはYAMAHA QX5という中級機、しかしステップ録音ではなくリアルタイム。録音するごとに楽器も上手になったと思う、なんというか録音というのはその時の最大の配慮を尽くして集中して演奏するという場面に出逢える場だ。

だからライブなんかよりもずっと更に細かく、できるだけ丁寧な演奏をしなければいけないし、そのことで見えてくる部分も多いものだ。時代が進むにつれてだんだん楽になった部分もあるが、そのぶん他で多機能になっているため覚えなくてはいけないことも増え、結局はシーケンサーは人間を楽にはしていないのかもしれないね。

今でもPCに直接に生録音なんてことよくする、先日アップしたスパイスロードなんかも数箇所はそうして製作した、直接録音することでなんというか自己満足的な部分を充足しているのかもしれない「よく今の演奏できたな?」などとその時の調子を後で振り返って評価してしまう。

二度と弾けないようなテイクが録れたときなどは、もう消せなくなってしまう。そんなことが録音という作業の中に時系列的に存在し、苦しくも楽しいものとしている。

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東京スタジオ物語 vol.2

すっかり意気消沈して戻った部屋の中で、もはや鍵盤に向う気力はなかった。というよりも、このままではいけない・・・・そんな、そこはかとない危機感が自分を制御しはじめていた。

そこから数日間、セッションに出かけるのを控えた、残り2通の葉書の主に連絡し直ぐに参加できないことだけを伝えた。このままでは次にセッションに行っても同じことを繰返すだけだ、そう思いながらも、もう一人の自分が「もっと勉強しろアホ」と言うのだ。

当時は目白に住んでいた、目白の隣は池袋、南側は新宿だ。高田馬場まで自転車で山手通りをよく散歩していた。その翌日も散歩に出かけた、馬場を過ぎると大久保に入る、するとサムディというジャズライブハウスを見つけた。

よく雑誌ピアなどで目にする店名だったので、コーヒーでも・・・と思い店内に入ってみた。するとその日は日曜昼間のセッションデイ、何やら賑やかにジャズのセッションをしていた。学生・社会人、人種を選ばすに自由に参加するセッション形式で参加費が500円と書いてあった。

たまたま隣にサックスを持って待っている人がいた、髭づらの汚い風貌だがジャズっていう雰囲気をかもし出している感じだった。俺は初めて入った店の事情をその男に訪ねてみた、すると気軽に話してくれた。なんと早稲田のソサエティのOBだという、セッションに参加してみてくださいとその男が誘うのだ。俺としては覗きにきた程度だったので遠慮していたのだが、そのサックスの出番が次ぎで、ステージに上がるなり俺をピアノの所に呼ぶのだ。

なんだか周囲の人も拍手をしている、ここでは誰でもセッションに参加させ誰が上がっても拍手するようだ。まるで狐につままれたような感じだ。ピアノの譜面立てにはサテンドールの汚れた譜面が置かれていた。

え?? これやるの?? サックスが「そうです、じゃいきます」。
おいおい、ま、待って・・・心の準備が・・・・
しかし、俺の制止命令など無視、サテンドールが始まってしまった

サックスがまずメインをとっている中、半ば強引にステージに上がって始まったこのサテンドールの曲中に、もはや合わせるしかなかった。15秒ほどまったく音も出さずにピアノに座っていた俺は、しかたなく、なんとなく音を弾いた、となりでサックスが目で「何かもっと弾け」みたいな合図をしてくる、しょうがない、俺はここで何かがプツンと切れた、と同時にリズム伴奏を少し変な音を入れてフェイクしてやった。

そのうち、あれれ、、、ブレイクに入ったのだ。ドラムがソロになった。
サックスがもっとやれ、って感じでバースを伸ばしている、およそ64小節分はあっただろうか、ドラムのソロが終わる雰囲気になってきた。

サックスがいくぞーみたいな顔をしている、結び部分でメロに入り、なんとも最後はずいぶん引張るエンディング・・・・・

終わるとパラパラと気の無い拍手が店全体から聴こえた。

席に戻るとサックスが「お疲れさまでした、次ぎも申込みましょう、ええと4回後くらいに次の出番です」などと言ってきた。俺はもう本日は観客に回ることを伝えた、精神的にいっぱいいっぱいだった、そんな表情を見取ってかサックスが、また話しかけてきた「普段は何を聞いてるんですか?」 俺「えぇと、ジャズたまにしか聴かないけど聴く時はウイントン・ケリーかバドを」と応えると、サックスもどうやらバド・パウェル好きらしく会話が弾んだ。

ずいぶんジャズにドップリなサックスのその男は、終日ここで吹いていくとのことであった、こんな風景をまのあたりにした俺は、そのアットホームな雰囲気と無責任にすすむセッションの風景の印象に、何か言わずと惹かれてしまっていた。店を出て馬場のピザ屋で食事しながら、ふと、あの何の責任も無いセッションと、昨日の効果的な演奏をしなければいけない二つの状況の対比を考え込んでしまっていた。

ここには二つの対極があった、一つはまとまりの中から何かを生み出す創造的な演奏と、ひつとは、曲に対してまとまりではない部分でも演奏をし、その状況になにもこだわらないという、音楽側よりも人の方に視点が置かれ、しかも何ひとつ結果に対して演奏者が負荷を求められないものだった。

演奏するにもこんなに気軽さに違いがあるのだ、私はこの対極が面白くてしかたがなかった。むしろ今までは予定されているセッションの中で予定されているものを演奏した経験しかなかった。何も打ち合せ無しで最初から最後まで人前で演奏した最初の経験になった。

づづく

























セッション 私史 東京スタジオ物語

上京したての頃、よくセッションに出かけた

上京前にあるライブハウスのマスターから東京でのアマチュアの音楽シーンについて聴かされていたからだ。しかし、彼の言うのは吉祥寺のジロキチなんかのロックのシーン。俺の希望しているフィールドはクロスオーバーだったから、結局は行く場所が違った。

音楽雑誌(ジャズライフやロッキン・プレーヤーなど)に「キーボード加入希望」と出すと150通も葉書が来るのだ、その時は驚いた、いくら男の鍵盤が少ないからって、こんなに鍵盤の需要が一時にあるとは・・・と想った。
無理もない、当時は、イカスバンド天国が放送開始直後で、バンドブームだったトレンドの後押しもあったのだった。

フュージョンといっても、上京した俺の目標はプロミュージシャンに成ることではなかった、単純に音楽をアンサンブルを勉強したいと思っていた。やっぱり田舎でカシオペアをやっていた程度で、東京の人達と音でコミュニケーションできるのかな・・・・と、不安があったのだ。

その選択肢の一つにバークリー音楽学校に行くというのもあった、というか一年腕を磨いたらバークレーに行こうと決めていた。でも目の前のまずは東京での自分がどうなのか、それが知りたかった。

上京後、最初のセッション


手紙や葉書の中から、三通を選びセッションに出かけてみよう

そんなとっかかりの計画がスタートした。まずは比較的、大人数のバンドに行ってみようと思った。友達も増えるし様子も分かるからだ、葉書にはこう書いてあった「TP.TB.Sax.Bass.Dr.Gut.Vo×2のグループです、当方、キーボードが忙しく不定期でしか来れないので、新しくキーボードを募集しています」etc...

リーダーのギターの人に電話すると「今週に早速来てほしい」とのことで「はい、伺います」と元気よく応えた。すると、とんでもない電話での長話し・・・

ソウルミュージックの感覚的な部分の話しとか、ナイルロジャースやジェームスブラウン、R&Bのこと、妙に詳しい。
思えば、カシオペア・YMO・スクエア・高中・ヤンハマー・ジョンロード・リチャードティー・ウイントンケリー・バドハウエル、チックコリア、スパイロジャイラ、ect などしかコピーしてこなかった俺が付いていけるのかなと思った。

その週の土曜日、仕事を午前中まで済ませ職場から直接スタジオへ向った。上京してから初めてのスタジオでの合わせだ、場所は笹塚のスタジオ・ミュージアム、地下に降りてゆくとリーダーが迎えてくれた。彼は28才、俺は当時24才。キーボードは何使う? と聞いてくれた。「エレピとシンセがあればいいです」とりあえずそう応えるとカウンターに行き、コルグのM1とローズのスーツケースのモノマネのローランドのデジピを予約した。

ボーカルの女性が楽しそうに他のメンバーと話している、その一人が私に気が付いたのか「はじめまして」と挨拶してくれた。私も「鍵盤でセッションしにきた○○です」と、、話しをしているうちにスタジオに入る時間が来た。リーダーが「この楽譜なんだけど、ザツでごめんね」と渡してくれた楽譜にはコード進行しか書いていない。しかし、なにやら書き方が私とは程遠い書き方、、、でもやるしかない。。。

ホーンセクションがやたら音出ししてうるさい・・・
数分すると、ステックが鳴り曲がスタート。かなり周囲の楽器は動いている、結局俺は白玉コードを鳴らすだけ・・・・トホホ。こんなことしか出来ない、と思いながらも何とか弾き抜けた感じ。。。

終わってからリーダーが「ううん、もうちょっと特徴付けてほしいんだ」と言いにくそうに話す。俺は「よく人の音聞いてるな・・・」と思う反面、何か即興でこの音楽に効果的に付加できなかった自分が恥ずかしかった。駅前で軽くメンバーと食事してから帰った。帰りの電車、京王線の中で、なんだかくやしさがこみ上げてきた。

田舎でそれなりにバンド活動をしてきて、セッションなどもしてた、けど、このシチュエーショをこなせない自分が小さく見えた、そんな上京後最初のセッションだった。東京はそう甘くはないな・・・と思った。

つづく

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